私がデザインという言葉が多く飛び交う世界に携わるようになって10年近くたつのですが、
昔母校の先生が言ってくださった言葉は未だによく思い出します。
デザインという言葉の深さも広さも今より遥かにわかっておらず、
見てくれ重視でカッコイイものを作れてナンボ、と思って短絡的に課題をこなしていましたが、
何も世の中をわかっていなかった私たちに先生が話してくださったことは「デザイナーとアーティストは違う」ということでした。
アーティストは自分を表現してそれを評価して買ってくれる人が居れば成り立つものだが、デザイナーはお金を貰ってお客さんのためにつくるのだ、と。つまり相手の要望ありきで動くのがデザイナーということでした。今聞けば当然と思えるのですが、雰囲気でしかわかっていなかったその頃の私には目から鱗で、とてもすっきり心に落ちた言葉でした。
言葉で要望と言うのは簡単ですが、相手が何を求めているのかを知りそれを形にしていく上では、労力も時間も必要です。そしてその中で、相手のことを考えることだけではなく、コミュニケーションがとても重要だなと感じる機会が年々増えているように感じます。
コミュニケーションという言葉は相手と話す上でのことに使われることが多く思いますし、ビジネス上で使われる言葉は折衝能力とか交渉能力にも広げて使われることがあるようですが、改めて調べてみると、相手と『通じ合わせる』ということとあります。
コミュニケーションが大切だと感じている人は世の中には多いとは思いますし私もその1人ですが、通じ合っているか』ということを考えると、正直私は今までそこの意識を持ったことがなかったです。
考えたつもり、知ったつもり、になっていないか。
お互いに都合の良い部分だけでなんとなくやり過ごしていないか。
ちゃんと相手の要望に対して、通じ合わせ応えられているか。
改めて考えてみると通じ合った状態になっていると自覚できるものは少ないなと感じます。
考えるだけ、知るだけでは結局は一方通行なもので満足には至らせられない。
関係が長く深くなってくると、そうだったのかと後で気づかされることは多々あります。
デザインという言葉が絡むものは、アウトプットされたものにフォーカスされがちですが、作っていく上では実は、そこに至るまでのプロセスを大切にしないと、意味が極端に薄くてどうしようもないものになってしまいます。昔自分がつくった課題なんて今では目も当てられないと恥ずかしく思います。
通じ合っているかどうかを追求していくと相手の数×物事で宇宙的広がりすら感じて途方もないように思うのですが、このことなしにはうまくいかないので、まずは身近なことからでも『通じ合う』という言葉を胸に、まだまだ短絡的な自分を戒めつつ今日も頑張ろうと思います。
企画・クリエイティブ ディレクターY