2014年10月

さて、今回は何を書こうかと考えて、、、。
いま私が読んでいる本の話でも書いてみようかと。

いま「ピクサー流 創造するちから」を読んでいます。
まだまだ読み始めたばかりです。

まだ途中ではあるものの、実によくできていると感じます。

多くの書評にも書かれていることではあるのですが
ピクサー映画の好きな人にとっては「ピクサー映画史」として。
ジョブズ ファンにとっては「ジョブズ ストーリー」のスピンオフのように。

私のように書店のビジネス棚を眺めてて見つけた人にとっては「ビジネス書」として。

この本の特徴はピクサーでの出来事(過去の事実)に対して実によく”具体的考察”がされているところにあるように思います。
状況・環境・人・組織・作品などに対して具体的な事例を用いてピクサーを語っています。

この具体的な考察の繰り返しが、この本を読む人にとって異なる楽しみ方ができる要素をもたらしているのだということです。
事実に対して細部に渡り具体的考察することで、読み手もまた一つの事象に様々な視点をもてる環境が構築されています。


1つの課題や、1つの事象に対して構成要素を細分化し考察をして方向性を見出すのは、私のプランナーとしての仕事の取り組み方に近いもの感じます。
クライアントに何を提供していくことが”お客様ために”なっていくのか、具体的考察を重ねて私たちの考えを提示させていただいているのです。


もし読書が苦手な人でも、トレーニングのつもりで一つの本を様々な視点で何度も繰り返し読んでみませんか?

ちなみに私が読んでいる「ピクサー流 創造するちから」皆さんはどのように読みますか?
ピーアンドエフのプランナー流の本の楽しみ方でした。


プランナーIw

企画書って何だろう?
みなさん、考えたことありますか?

そもそも、企画書の概念なんて私は無いと思っている。
書いた人が、企画書と言えば、立派な企画書だと思う。
営業ツールを企画書と呼ぶ人もいる。
一生懸命、お客さまの事を思いながら書いているのなら、それも企画書だと思う。
人それぞれの考え方が違うように、人それぞれ、企画書の概念は違う。

私は企画書を書く時に意識している事がある。
私が思う、企画書は、「企画を書く資料」ではなく
「気」を「書く」「所」・・・・「気書所」であることを意識している。

お客様へ「気持ち」や「想い」を、どれだけ「書き込める」か、その気持ちを伝える「所」が
「気書所」=「企画書」だと思っている。

「企画書」は、「お客様へのラブレーター」
どれだけ、こちらの想いを伝え、「好きになってもらえるか」=「パートナー」として認めてもらえるか
お客さまに想いが伝われば、パートナーとしてお仕事を一緒にしていただける。

お客さまの事を好きになり、愛することで、気持ち(企画)が強くなり、お客さまの気持ちを汲み取った
企画書になると思う。

よく、私、企画書、書けないんです~。と言う人がいるが、
ほんとうに書けないのだろうか?
それは、自分のお客様を愛して無いからなんじゃないの?

お客様への想いがあれば、どんな形や体裁であれ、企画書は書けると思う。
相手へ自分の素直な気持ちを伝えるだけなんだから・・・・

こんな、偉そうな事を、つらつら書いてはいるけれど、私もまだまだ、
出来ていない。想いがうすっぺらい事も多々ある。

もっと、もっと、お客さまの事を好きになり、もっともっと、愛して
これからも、いろんな人に「気持ち」や「想い」を伝えて行きたいと思う。

プランナー T 

最近あらためて思うのが、「仕事のできる人」の共通項として、若い頃から様々な経験・体験を積んでおり、さらにその経験を自分の仕事に活かせる人、というのが多い気がします。
すべての経験・体験はどんな仕事にも必ず役立つ時があると思います。言い換えれば人としての "引き出し" が増えるということです。

クリエイティブも然り、部屋の中で1日中デザインの作成に没頭している人と、外の空気に触れながら街のいろんなモノを目にする機会が多い人とでは、後者の方がきっと良いデザインや企画を創れると思います。

私でも過去の経験・体験を今の仕事に活かせる時が少なからずあります。
学校の勉強をしてこなかった事に関してはさほど後悔していませんが、あの時もっと有意義な経験を積むチャンスがあったのにと後悔する事は多々あります。だから他人からの誘いや少しでも興味を持ったことには極力体験してみようと今でも思っています。

私は度々、中途入社希望の方を面接させていただく機会がありますが、面接に来られた方には仕事はもちろん私生活においての趣味嗜好などこれまでどんな経験・体験をして来たかをお伺いすることがあります。どんな経験でもいざという時に、それらが引き出しとなって仕事に役立つ事があるからです。

万能の天才と呼ばれた 、かのレオナルド・ダ・ビンチもまた、
『私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。』と言い残しています。

喰わず嫌いで何事にも経験・体験しようとしない人は、ひょっとしたら自らの引き出しを増やすチャンスを逃しているのかもしれません。

そして得た経験・体験は、自分の引き出しが増えるだけでなく、これまで持っていた自分の引き出しの中の "整理" も同時にしてくれる様な気がします。
多少なりとも「感性」も必要としている今の仕事をしている間は、もっともっといろんな物事に触れ、機会があれば今までやった事の無い経験もどんどん積んでいきたいと思います。


ディレクターK

販売促進に日頃携わらせていただいているので

一人でも多くの人に選んでもらうために、ということを毎日考えています。

その中身は当然単にかっこいい、おしゃれ、おもしろいという感情だけではなく

科学的に理論的に組み立てて考えていく作業が多いなと思っています。


そんな中で何か調べ物をしていた中でふと

「植物の果実はそれを食べる鳥たちに好まれるための色をつけるように進化したと思われる」という
研究結果の発表の記事を目にしました。

(残念ながら今は記憶の中にしか残っていないのですが)


この自然界における生存競争のための進化はまさに、

企業の生存競争のために商品やサービスを日々変化させている私達が暮らす世界も同じで、

人間の文化的活動かと思っていましたがこれは生物としての当然の活動なんだなと、
自分が急に動物たちと同じような感覚になりました。


それと同時に地球上で活動しているものすべてが他者に好まれようとしているこの世界自体がとても素敵だなと、結局そういうところに落ち着いた日でした。



ディレクターY

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