2016年06月


本来は「三尺下がって師の影を踏まず」だそうです。
でも私はタイトルのように三歩下がって〜と覚えていました。
中途半端に類似の言葉に頭の中で置き換えられてしまうと
意味は通じてしまうのもあり、正しい記憶への置換が不安になります。

で、「師」ということですが、転職を何度も経験しているのですが
運良く、今まで自分の人生において「師」と勝手に思っている方に
何人かお会いすることができました。
先方は私のことはとるに足らない、
関わった人間の一人としか思っていないかもしれませんが
間違いなく、仕事観、職能、考え方等自分の人生において
その影響なくしては今の自分は存在しないと言い切れる方々です。

今考えると一笑に付されそうなことで、本来誰にとっても当然のことなのですが、
まだMacを覚えて調子に乗っていた頃の私が
Macを面白そうに触りながらも、その技術の習得には興味を示さない「師」に
本気で使ってみないんですか?楽しいですよ?と、本当に調子に乗って聞いたところ
笑いながら、データを確認できればそれ以上は仕事に必要ないから楽しむくらいで十分、
と答えてくれた方のことは未だに心に残っています。
それがなければ、そのことは言葉、知識としては知っていても、
もっと後になるまでMacでデータをこねくり回すことが
デザイン、ものづくりだと勘違いしつづけていたと思います。
その方だけではなく、そこで出会った方々は基本自分でPCに向かいませんでしたが
自分が「デザイナー」であると胸を張って名乗り、誰にもそれを疑わせない
仕事をされていた方々で、コンピューター上で要素を触ることが
デザインではないと本当に最初に教えてくださった方です。
ものと同時に、今の私もかたちづくってくださいました。

今も私はMacの前で、自称「ものづくり」をしていますが
そんな「師」に、こういうものをつくっています、
と言えるような結果を出しつづけつつ、
そんな後進の人間成形になんらかの影響を出せる人間でありたいと思った
所信表明っぽくまとめてみた18期最初の更新です。



ディレクター S

新卒時から見ていたかつての部下にあたる方が、
転職後半年にして転職を考慮していると耳にしました。
早いな、というのが率直な感想で、
そのまま伝えたら、自分はこの職に向いていないと思う、とのことでした。


それなりの期間、この職に就いていますが
自分自身の向き不向きなんて考えた事ありませんでした。
かつて、この仕事は不向きだと数年間言われつづけてきた別の方が
きっかけを得て急激に成長し、
誰からも認められる存在になったのを目の当たりにもしたこともあり
職に対する向き不向きなんて簡単に判断できないとうのが私の考えです。
不向きと自分で言い切れることに驚きも、傲慢さも感じます。


厳しいことを言えば、向き不向きというより全力で職に向き合わなかった、
というのがかつての姿を見ていた側からの感想です。
同時に他でも、向き不向きを語り物事を判断する方の大半が自分で自分自身のことを判断しているだけで
他人の意見や判断を聞いている事自体そんなにない気がします。
また第三者に不向きだと言われたから職を変える、という判断をする方の方が少ない気もします。


逃げる時の言い訳に向き不向きを口にする人というのは一定数いるのは事実だと思います。
向き不向きの明確な判断基準がどこにあるのかは存じませんが。
例えば、法に背く様な事を仕事にしたら向いていると感じたら、人に言われたらするんでしょうか?
なんでしょうね?向いている仕事って?
楽しめる仕事?楽をして稼げる仕事?没頭できる仕事?
向き不向きを考えずに済む仕事?
せめてそれを聞いて過半数が納得できる結論がでる、回答が得られることだったらありがたいですね。

同時に現状を見ていないのにこういうのもなんですが、
自分でこの仕事には不向きだと思わせた環境も考えると寂しい気もしています。



ディレクター S

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